福岡県内の高校を卒業した大学進学希望者への奨学金給付
筑紫奨学会45年の歩み

創設者•池邊 傅 氏
「次代を担う人材を育てるため」 私財をなげうって設立
筑紫奨学会の創設者である池邊傅氏は、1891(明治24)年、福岡県三井郡北野町に生まれた。苦学して福岡県立農業学校(現•県立福岡農業高校)を卒業後、福岡県庁、産業組合中央会を経て「家の光協会」に勤務。
その後、東京出版販売株式会社(現•株式会社トーハン)に入社。社長、会長を歴任後、顧問に。その間、財団法人全国出版協会理事長も務めるなど、長きにわたり出版事業の発展に尽力した。東京出版販売の社長を引退するにあたり、「事業は人、人材は国家の基礎」という信念の下、「郷土のためにできることは何か」と考え、私財4600万円を投じて、福岡県内の高校卒業生を対象に、成績優秀でかつ経済的に困難な大学進学希望者へ奨学金を支給することを目的とした、財団法人筑紫奨学会の発足を決意した。
人と人のつながりを大切に
池邊氏は”人と人とのつながり”を大切にしてきたため、奨学会創設の際にも多くの友人達が彼の意志に賛同した。そして彼の郷土愛と人材育成への強い思いは、役員の中でも、父から子へ、孫へとしっかり受け継がれている。”企業は人なり”、いい人材を育てて田舎に恩返しをしなければならないと私財を投じて創った池邊氏の志を受け、現在もOBたちにしっかりと受け継がれている。

財団法人筑紫奨学会設立発起人(1975撮影)

第1回OB会風景(2016年)
引き継がれる創始者の遺志
池邊氏は、この奨学会で培った絆を大切にし、社会人になっても励まし合って後々までも親交を続けてほしい、と願った。そうした親交の場として、奨学生との懇談会を度々開催。また、筑紫奨学会の特色として、OB会、研修会を通して現役学生が先輩であるOBたちから就職•進路についてのアドバイスを受けたり、OB同士のビジネス•チャンスを生む場ともなる。そうした期待も込めて現役学生の出席率も高い。
現在も採用者が決定すると、役員から直接証書を手渡す。そして創設者•池邊傅氏の手による「知徳協調」の書を複写•額装して贈呈している。顔と顔を合わせ。言葉を交わすことで、奨学生の気持ちも引き締まり、奨学金の重みと責任を実感するようだ。触れ合いと親交——池邊氏の願いは今に引き継がれている。
多様化する奨学金制度と
今後の展望
2017(平成29)年には国の奨学金制度にも給付型奨学金制度が創設され、2020(令和2)年4月から高等教育の就学支援新制度がスタートした。他にも地方公共団体、学校、事業団体、企業など奨学金制度が多様化し、学生にとっては選択肢が広がり、良い方向と言えるが、より優秀な学生を採用していくためには、活動内容を今まで以上に世の中に発信し、企業や学生たちに関心を持ってもらうことも必要である。
また、学生や学校側のニーズを知るために、県内の高校の校長先生を訪問し、現状や要望について生の声を聞き参考にしている。今後、建寧の奨学生制度の統計を取るなど、更なる情報収集を行い、現状把握に努め、より良い運営を目指していく必要もあるだろう。
堅実な資金運営を目指す
設立当時は利率も良く運営は楽であったが、金利の下落とともに次第に厳しい時代に突入した。しかし、株式会社トーハンの堅実経営のもと、現在に至るまで配当の遅配や減配は一度もない。逆に特別配当もある安定した財政基盤を持って運営している。池邊氏の意向で、役員たちはすべてボランティア。無報酬の活動である。だが、時代の変化、物価上昇に伴い1995(平成7)年より奨学金を一人月額15000円に、2012(平成24)年には2万円に引き上げた。
現在は月2万円を26名の奨学生に給与しているため、単純に年額624万円が必要である。この財源を確保し、より健全な資金運営と共に利回りを順調に得るためにも、様々な角度から目を配っている。空前の低金利の今、無理はせず最小限にリスクを食い止めながら、利回りを維持し財源を保っていけるよう努力しなければならない。さらに資金運用をできる人材を育てていく必要もある。
親睦と連帯感で
しっかりまとまっている奨学会
当筑紫奨学会の特徴は、池邊氏の目指した”人と人とのつながりを大切にする”奨学会であること。書類だけの手続きでは得られないつながりが当会にはある。面接時から学生諸君とじっくり語り、卒業してからも助け合い、繋がっていく。
これから10年後、20年後に向けてさらなる飛躍を遂げようと、関係者一同決意を新たにしている。

創立40周年記念式小宴開催
(2015年5月15日)
